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親の責任 判決に シゲラー論

サッカー少年だけでなく 小さなこどもを持つ親御さんには 大いに興味のある議論百出の判決になったと思います。

最高裁の判決は 親の責任は無しということで 終決しました。 

この裁判について 非常に不可解なことがあり シゲラーなりの見解を書いてみたいと思います。

① 85歳の高齢者が単車を操作する危険回避能力の是非の不可解。
ボールが転がってきたとき この老人は それを予知したり、危険場面の対応能力に問題があったはず。昨今そういう能力の欠如が免許返納というルールを構築している社会背景を考察する必要がある。


② 転倒時骨折 一年半後 肺炎により 死亡の不可解。
果たしてこの事故が 死因の因果にどの程度関与したのか? 甚だ疑問が残る。
骨折してから 2年近く経過した肺炎が死因である以上 なぜ この転倒事案に死因の責任範囲が及ぶのか?

③ 死亡してから 3年を経過している訴状提起の不可解。
遺族が この少年の蹴ったボールが原因で死亡したとするなら、なぜ 3年も経ってから 裁判を起こしたのか?
背景に 損害賠償金をアテにした 『扇動家』が.いるのではないか?

④ 裁判の論点が 『親の責任』になっている不可解。
少年が蹴ったボールが 死亡した原因であるならば、初めから死亡原因に是非を裁判で争ったら良いはず。
しかし そこの『親の責任』に論点をすり替え 初めから『損害賠償金取り』が.みえみえである。
元来 損害賠償金は 『取れるところから取る』というのがセオリーであるので 
資力ない当事者子供からは 取れないので 親の責任を追及するというテクニカルな匂いがプンプンする。

こういう観点から

わたしは 死亡した 85歳のご老人やその遺族に同情の余地をまったく持ち得ない。

平均寿命を生きた年齢であるし、一定の運命的事象として 遺族をそれを容認したら 神は安息の未来を用意したはず。

長年の裁判事件の経過と 一銭も見受けできなかった判決に 徒労だけが 残ったはずである。

ただ心配するは 当時 少年だったこの子が 何かのトラウマに呪縛されて 人生のジャッジをしてしまわないか?

その一点である。
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